エゴかスピリットか

奇跡のコース(A Course in Miracles)の勉強会(ACIMの考え方をシェアする会)に誘われて参加したことがありました。

ACIM - Wikipedia

コースについて何も知らなかったので沢山メモを取ったけれど、その後はACIMの本も読まずに、参加したことも忘れてしまっていた。

最近ACIMを思い出してメモを読み返してみたら気になる言葉があった。

 

「エゴかスピリットか二つに一つ、どちらかしかない。

自分がエゴワールドにいる時、相手のエゴしか見えない。

自分がエゴワールドにいる時、相手のスピリットは見えない。」

 

自分次第ということですよね。

こういう話、前は相手が全面悪いことだって世の中沢山あるさ、と思っていたので受け入れ難かった。

でも最近は受け入れられるようになってきました。

 

例えば、

誰かと部屋にいて寒くなってきた時。

A:自分でエアコンをつける。

B:エアコンつけてよと思う。

 

Aは何の感情もくっつけていない。

何か不満があったり疲れていたり、感情に揺れがあるとBのように外に求めやすい。

 

どちらも部屋が寒いだけ。

相手は寒くないのかもしれない。 

自分がエゴとスピリットのどちらにいるのかで起きることが変わる。

起きることというか、本当は何も起きていないんだけど。

そういえばACIMを教えてくれた人にも「問題は起きていないかもよ」と言われることがあった。でも当時の自分は問題(と思えること)を違う角度から見ることが苦手だったので、「いいえ問題は起きてますっ」と思い込んでいた。

 

「エゴは自分と他人は別の存在、理由は全て外にある、私はこれまでの出来事によって作られたと思っている。人や過去が変わらないとだめだ、どうにかしたいと思っている。守られて安心で愛されていることを完全に忘れている。」

 

「エゴは幸せが見つからないことを知っている」

「スピリットは今もう幸せなことを知っている」

 

エゴもスピリットも自分。

スピリットに戻してくれるのは精霊(ホーリースピリット、ハイヤーセルフ)の自分。

エゴにいる自分を認識してスピリットに戻りたい、戻して下さいと依頼をすると精霊が戻してくれる、とメモに書いてある。

精霊も自分なんだけど、自動的には戻れない仕組み。

依頼は言葉で発するというよりも、エゴにいると認識して変わりたいと感じること、だと思う。

 

自分はエゴワールドにいないだろうか?

視点を変える余地を持つこと。

余裕のない時こそ必要かも。

f:id:oui11:20210302155921j:plain